[21]ライオンのみさき
「守護天使になる!? 何を――何を言うのですか? どうして、あなたがそのような……」 「死んだ動物がお世話になった人間の方をお守りするため、生まれ変わって守護天使となる……何も、不思議なことはないと思います、メガミ様」 「それは普通の動物の話です。あなたはただの動物ではないのですよ。蛇とは言え、あなたはすでにその霊格から言えば 並の人間などより遙かに高い、むしろもう、神域にあるとも言える霊蛇……」 「だとしても、蛇であることに変わりはないのですから、守護天使になれるはずですわ」 「しかし、どうしてわざわざ守護天使になる必要があるのです?」 「ご恩をいただきましたあの方のおそばに参り、それをお返ししたいと思っています」 「恩……? 神社の守り神として、人間たちから敬われていたとはいえ、常に孤高にあったあなたに分け隔てなく接してくれたことへの、ですか? ……お気持ちは、分かります。でも、そのご恩なら、もうお返ししたではありませんか。たった今、あなたは自らの命を投げ出してまで、あの方をお救いしたのでしょう?」 「ご恩というのは、貸し借りではありませんわ、メガミ様。していただいたことに対して、これだけのことを返したから、もう終わりとか、そんなものでは……。はたから見てどう思われようと、あの方のして下さったことは、わたくしにとって、こうして今この命を捨てて、それでもまだ感謝しきれないと思うほどうれしく、大きなものだったのです。わたくしの中に感謝の気持ちがあって、そして、まだお返ししたいと思う心があるからには……まだ、ご恩を返したことにはなりません」 「ですけれど、あの方に恩を返すにせよ、お守りするにせよ、あなたでしたら、他にも方法が……何も自ら守護天使にならずとも」 「いいえ、これは義務感で言っているのではないのです、わたくしの望みなのです。わたくし自身がそうしたいと思っているのです。ですから、どうか、お許し下さい」 「でも、あなたほどの方が今さら……守護天使となった動物たちはご主人様をお守りし、共に生きることで、一つ一つ煩悩をなくして霊格を上げ、さらにまた上位の存在へと変わっていきます。ご主人様へのご恩をお返しするだけではなく、これは普通の動物たちにとっては、自らを高める修行でもあるのです。けれども、あなたはすでに今のままで……」 「いえ、それだからこそ、このわたくしにも守護天使となる資格が……あ、いいえ、これはおかしな言い方でした――一匹の動物として、仰るような修行を積む必要がわたくしにもあるのです」 「何のことです?」 「神となるには、今のわたくしでは悟りが足りません。なぜと言って、あの方に対するこの思い――おそばにありたいというこの気持ち……これが煩悩でなくて、いったい何でしょうか?」 「……。そこまで仰るのですか? 自らを貶めるような、そんな言い方までをして……」 「偽りを申し上げているわけではございません」 「……ずい分ひどいこと言うようですが、あなたがそこまでして、いくら望んだとしても、守護天使になれるとは限らないのですよ。――今度の、自分を助けるためにあなたが死んだことは、まだ幼いあの方にとって、あまりに深い心の傷です。おそらく、あの方は自分の心を守るために、ほどなくしてこのことを、あなた達のこともすべて忘れてしまうでしょう。そして、もう一生の間、思い出さないかもしれません。ご存知ですね? ご主人様に、自分と、そしてお互い関わりの深い運命の方を思い出してもらえなかった動物は、魂の受け皿たる成体を得ることができず、守護天使として転生することはかなわないということを……」 「はい。それはよく承知いたしております」 「それでも、そうすると? そんな危険を冒してまで……」 「確かに、普通に考えましたら、危険なことでしょう――でも、わたくしには、このことをおそれる気持ちはありません」 「確信があるのですか? あの方が必ずあなた達のことを思い出すという……どうして、そんなに?」 「理由があってのことではありません。ただ、そう信じているのですわ」 「――すごい方ですね。あなたという方は……」 「……いえ、ほめられたことではないのかもしれません」 「え?」 「女というものは、どうしようもありませんわ――わたくしのことを思い出すということは、この悲しい思い出を思い出すということなのに、そして、わたくしの助けが必要だということは、たぶんその時、あの方があまりお幸せではないということを意味するはずなのに……それでも、わたくしはあの方がいずれわたくしを必要とし、思い出して下さるものと、そう信じてしまっているのですから。――あの方のお幸せを願う、その気持ちに間違いはないはずですのに……」 「……仕方ありませんよ。人であれ、動物であれ、神であれ、女は女であることからは逃れられません。でも、逆にこうも言えます。そうした献身もやさしさも女だからこそです」 「メガミ様にそう言っていただけると、救われますわ」 「これでは、認めざるを得ませんね。そこまでの覚悟がおありでは――同じ女として……」 「ありがとうございます、メガミ様。心より、感謝いたします」 「でも、あなたの仰るようにあの方がすべてを思い出すとしても、それまでにはずい分長い時間が……そう、たぶん十数年もかかるでしょう。そんなに長い時を、あなたは体もないまま、宝玉の中でひたすら待つと……」 「それくらい、何でもないことです……いいえ、長い時をいただけることは、かえって幸いですわ。わたくしには学ぶべきことがたくさんありますもの。わたくしは人間に化身することはできましたけど、人間の女性としての実際のたしなみの方はさっぱりですから、あの方のおそばに参りました時恥ずかしくないよう、いろいろと身につけておきたいことがございます」 「そうですか……。分かりました。それでは、このことも承知しておいてくださいね。守護天使として転生するからには、今のあなたのお力のほとんどは失われてしまいます。再び取り戻すことができるとしましても、それはずっと先のことになります」 「構いません。これからのわたくしには、それは必要のないもの――いえ、むしろ、じゃまになるものでしょうから」 「それと、今度のあなたの死因は焼死……あなたのことですから、さすがに恐怖心として表れるなどということないでしょうが……体質としては、残りますよ。熱や暑さには弱くなってしまうことでしょう」 「はい、覚悟しています。こんなわがままを申し上げるのですし、それは守護天使のさだめだと心得ております。でも、ご主人様にお仕えする上で妨げになるのでなければ、別に苦にはなりません」 「もう、『ご主人様』ですか……。そう、でもそれなら、むしろ火を怖がる方がいいのかもしれませんね。その方がご主人様に助けていただいて、甘えられるかもしれませんし」 「まあ、お意地の悪い……」 「これくらいはいいでしょう? あなたならば、すぐに私と同格の……いえ、それ以上のお働きをしていただけるはずという私の期待を無にして、あなたはあの方を選ぶのですから」 「……申しわけありません」 「――でも、時は止まることはありません、人の心はいずれ変わるもの……そうでなかったとしても、人間はいずれ年を取り、死にゆくのがさだめ……。あなたはあの方と共に年を取り、共に死を迎えようと……?」 「――今はただ、もう一度お目にかかれる、その時のことしか考えることはできません……」 「……そうですね。分かりました――それではお行きなさい、ゆき」 「はい、メガミ様」
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2003年02月05日 (水) 23時01分
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